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2005年 04月 02日
「開店時間」は店を開ける時間ーその瞬間を表す言葉であり、閉店時間も同様、店を閉める時間ーその瞬間のことである。だから開店時間に「から」、閉店時間に「まで」がつくのはおかしい。
もしも「開店時間」が店の開いているという継続している時間を表すのであれば、「開店時間は8時から」は何時まで開店しているからわからないにせよ、8時からは開いているという意味でまあ納得できる。しかし、もしも「閉店時間」が店の閉まっている継続的な時間を表すのであれば、「閉店時間は1時まで」は深夜1時まで店が閉まっているということになる。深夜1時まで店を閉めておいてどうやって商売がなりたつのだろうか?それとも明確にされていない閉店開始時間が例えば夜中の0時で、深夜に1時間だけ店を閉じている形式の店なのだろうか。変わった店もあるものだ。 2005年 04月 02日
2005年 03月 27日
シミュレーションの記事でmikannohan様から頂いたコメントにレスをしようと思ったら、長くなってしまったので、1つの記事にすることにしました。
質問をそのまま引用させて頂きます。 親が自分の子供に、「お父さんの子供のときはーーー。」、「お母さんの若いころはーーー。」と、自分に「さん」を付けていますが、「さん」て敬称ですよね、しかもご丁寧に「お」まで付けて。これって一般的には普通のことなのでしょうか? 私の考えは以下のようなものです。 客観的にみれば、そもそも自分のことをさして「父」もしくは「母」表現すること自体、おかしいですね。本来なら「私の子供のときはーーー」と言うべきでしょうね。 しかし、我が身をさして「お父さん」などという表現を使うのは本来、話しかけている相手が幼児、すなわち人間の相対関係という概念が未発達な存在である場合だと思われます。 言い換えれば、相手が「一人称」「二人称」「三人称」という整理ができていないーーー「私」から見た「相手」は「あなた」だが、その「あなた=相手」から見た「私」も「あなた」、第三者からみれば「私」も「相手」も共に「あなた」であるということ、すなわち、人間関係とその呼称は相対的なものであることが理解できていないーーー存在である場合だということです。 すべての関係を「自分」を中心にしか理解できない相手と話しているのですから、相手を中心にして自分のことを表現する「父」「母」という呼称を使うしかないわけです。 さて、話がわき道にそれていると思われているかもしれませんが、ここでいよいよ「お」と「さん」についての見解です。 相手が「相対関係」を理解せず「自分を中心とした絶対関係」しかわからないことだけなら、「父が子供のときはーーー」「母が若いころはーーー」としてもよいのです。 しかし、普通は子供に自分のことを「お父さん」「お母さん」を呼ばせています。このことについて、子供は自分にとっての相対関係としての「父母」という言葉に、「ていねい」な気持ちを表すの「お」と、敬語の「さん」が付いたものとは考えず、ひとまとめにして「お父さん」「お母さん」という概念で理解しているのです。だから、自分のことでも「お父さん」「お母さん」とするしかないわけです。すなわち、この場合の「お」と「さん」は「父・母」から決して切り離せないわけで、一般的で普通のことというしかありません。 ただ、こどもがいい加減大きくなってからも、こどもに対して自らのことを「お父さん」「お母さん」と表現しているとすれば、「子供の自立性」という面から問題ではないかと思います。 なんだか専門家のように書いてしまいましたが、プロフェッショナルの方々のご意見もうかがいたいものです。 2005年 03月 15日
ジレンマとは相反する2つのことの板挟みになって、どちらとも決められないでいる状態を指す言葉だ(ジレンマ−dilemmaのdiは有機化学でもお馴染みの「2つの」という意味のdi)。だから、ジレンマは「彼は真実を告げるべきか、秘密にしておくべきかというジレンマに陥った。」などのときに使う。タイトルに書いたような「なぜ?」についてはジレンマは使わない。
「なぜ受け入れられないのか、そんなジレンマ」。この文章を書いた人間は、「なぜ受け入れられないのかわからない、納得できない」という心境を指すためにこの言葉を選んだのだろうか?わざわざ私は一度考えなくてはならない。なぜ私がこの無茶苦茶な日本語を使う勉強不足の人間の伝えたいことを推論しながら聞かなくてはならないのか。これでは彼らのいうところの"ジレンマ"に私が苛まれてしまうよ。 2005年 03月 13日
正しくは「シミュレーション」。まねることである。英語では「simulation」。「よく似た、類似した」という意味の「similar」という英単語が語源になっているのだろう(さらに、「similar」に含まれる「simil」には「似た」という意味がある)。「simu」がどうして「シュミ」と読めるだろうか。電子辞書で「みゅ」とだけ入力すると、候補に挙がる単語は外来語ばかり。たしかに日本人にとって「ミュ」という響きは馴染みが無かもしれない。しかし、「ミ」と「ュ」の順序を入れ替えて「シュミレーション」と読むのはいかがなものか。国際化の進んだこの時代、「ミ」と「ュ」を入れ替えているようでは、外国人とのコミュニケーションをうまく図れず、陳腐な人間になってゆくだろう。
2005年 02月 25日
シーズンの終わりなどには多くの洋服店がセールを行う。例えば夏の終わりにはタンクトップやTシャツがセールの対象となる。そして、大抵の店ではセールを行うと同時に、次のシーズンの洋服(この例であれば秋物)も売っている。客が次のシーズンの服も格安で買えると勘違いしないためにだろう、次のシーズンの品物の近くには、店によってその言葉は異なるが、「セール対象外品」などの表示がある。私はその表示の中で、意味のわからないものに出くわしたことがある。「こちらはセール対象外になります。」という表示。…なります?「なる」とは今はそうではないが、あとでその状態に変化するという意味の言葉だ。ということは、この秋物の洋服も今後セール対象外になりはするが、今は対象外ではないということではないか。それなら注意を促す必要はないし、次のシーズンの商品がセールの対象であるというなら、私は喜んで購入する。店員はおそらく、「こちらはセール対象外でございます。」と言いたかったのだと思う。お気の毒様。
2005年 02月 20日
2005年 02月 18日
2005年 02月 16日
2005年 02月 15日
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